しる

2004年10月15日 日常
絶望に効くクスリを立ち読みで適当にぱらぱらと。惰性で。
で、目にとまった一文。
「キリスト教では、『知る』と『愛する』は道義なのよ」


旧約聖書のソドムの話を思い出したわけですよ。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/sakai/021216.html
男色(・A・)イクナイ派の人が、ソドムの話をもとに男色を悪徳としてるわけですが。
『創世記』19章5節では、ソドムの人たちがロトに「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ」と言っています(日本聖書刊行会版による)。
ヘブライ語の解説曰く
《おまえ(=ロト)は(来た連中を)外へ出せ。私たちはそして(その者たち)を知りたい。》


で、「知る」とはなんなのかというと、
http://www.intership.ne.jp/~aoyama/new1-saijiki10(14)-sodomu-to-gomora.htm
列王上1・4 で、老境のダビテ王の世話をするために、若い処女をはべらせたが、「この上なく美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を知る ("intercourse with her" TEV.) ことがなかった。」 とあります。
即ち、処女のままであったということです。

という解釈があるわけです。なんつーか、この「王は彼女を知ることがなかった」と、「彼らをよく知りたいのだ」を同義にあつかうのはどうよ、とか思うわけですが。

そこで最初の引用を思い出すわけです。
知る=愛する
知る=肉欲込みのの愛 だとすると、ソドムが男色を象徴するってのはまぁ、納得かな。
一般的なキリスト教的「愛」は肉欲を含まないようような気がしますが。

ところでソドムの悪徳を男色とする派のサイトをみると、「英語でもそう書かれてるから」というのを
根拠にしてるのが多いんですよねー。英語になった時点で原典とは違うって思わないんだろか。

コメント